<ぱりにっき1月>

↑最後に訪れたサヴォワ邸 ル=コルビジェの有名な建築です。
2004年1月
1月それは最終章
最後のあがき
ジャンヌ三が日決行!
ギリギリまでの巡礼(?)の旅と見学
コルビジェのサボウォア邸も見学。
そして、帰国!最後の最後でアクシデント!
1月1日
今日から2004年。日本で向かえるのではないのでなんだか不思議な気持ち。
31日の夜から1日の朝にかけてはメトロが無料だった。
街も店がたくさん休んでいる。とにかく寝坊したので急いで用意をして東駅へ。
ぎりぎりで予定のものに乗車できた。10:00頃にランスに到着。街を散策しながら一路大聖堂へ。
一部修復中で微笑の天使も覆われていて見えなかった。
しかし、その雄大さは失われる事無く。内部の空間もすばらしかった。
ステンドグラスも綺麗だった。シャガールが寄進したステンドグラスも面白かった。
外に出ると大雪だった。写真などの撮影もできないくらい。
とりあえずいろんな施設もしまっているので1月1日を選んだ事を後悔しつつ大聖堂前のレストランへ。
ステーキを食べた。食後はサンレミバシリカ大聖堂を目指した。大雪の中凍えながら歩いた。
サンレミ大聖堂見学後は再びランス大聖堂へ向い見学。計5周側廊を歩いた。
その後はトイレを求めて駅まで戻った。大雪で電車が止まるかと思って心配だったが止まってはいなかった。
トイレを済ませた後は暗くなり始めたがフジタ礼拝堂を目指した。
開いていない事は知っていたので前で建物を写真に収めた。再び駅に戻り早めの電車にのってパリへ。
19:00頃にパリについた。20:00頃に帰宅。野菜炒めと味噌汁で夕食。
シャワーを浴びてから片付けとそのたもろもろを少しして就寝。明日はルーアンへ行く日。
ジャンヌ三が日の最終日だ。
1月2日
又、目覚ましを止めて寝ていた。慌てて用意して駅へ。
サンラザール駅なので少し遠いので焦ったがなんとか間に合った。
車内で又、一眠り。10:00頃にルーアンに到着。駅からそう遠くないジャンヌダルクの塔へ向う。
実際この塔に幽閉されていたかは不明だがおそらくここだろうという事のようだった。
学生は内部見学が無料という事だった。じっくり見学した後。
ジャンヌダルクが火刑になった処刑場(旧市場広場)に向った。
広場は今はその面影も無いが火刑台のあった場所と近くにあった教会の遺構は確認できた。
広場には現在はジャンヌダルク教会が建っているが内部は公開されていないようだった。
広場に面したジャンヌダルク博物館を見学する。
ただしお土産屋さんと一体になっているので公的な感じではなくどちらかというと私的博物館のような感じだった。
蝋人形でジャンヌの生涯を追う形になっていた。
後、当時を知る文書の写しやコピー複製品が展示されていたりした。
お土産屋さんの私的コレクションの展示かと思わせる部分もあった。
博物館見学後は一体になっているお土産屋さんで幾つか気になるものを購入。
丁度昼だったので広場に面したレストランへ。
生牡蠣とオムレット(ムール貝とサーモンが混ぜ込んであった)とシャーベットで御腹を満たす。
食後はルーアン大聖堂へ。内部を見学した。
次にサン=マクール教会(修復中だった)を見学しサントゥアン教会を見学(行くのが遅かったか閉まっていた)した。
最後もう一度と旧市場広場へ。そこでトイレを発見。(ずっと行きたかった)ゆっくり広場を散策してから駅へ。
結局ジャンヌダルク教会には入れなかった。
駅に着いたら30分ほど時間があったのでもう一度トイレに行き自販機のコーヒーを飲んでから乗車。
少し込み合う列車に揺られて一路パリへ。19:00頃にサンラザール駅に到着した。
帰宅途中に買い物をして自宅で夕飯。パンと味噌汁、茹で豚肉で済ませた。
その後は、片付けやシャワーなどで過ごし就寝。
1月3日
今日はM田君お勧めのアミヤンに行く日。やはり少し寝過ごしたが急いで食事と用意を済ませて北駅へ。
これで全駅制覇。ぎりぎりに乗車。車内でよく寝た。
10:00頃にアミヤン到着。駅で足りなかった朝食にとサーモンのサンドイッチとコーヒーを食す。
一路大聖堂へ。内部と外部を一通り見学したあと大聖堂北側の運河周辺のレストランへ。
氷が張るほど寒くて凍えたのとトイレに行きたいわでクレープ屋さんに入店。
入るなりトイレは何処ですか?と聞いてしまった。ガストンという名のクレープを注文。
ポテトに鴨肉(?)鳥の腿肉とサラダがクレープに乗っていた。
クレープはお菓子と思っていた概念が一気に吹き飛ぶ。
油でむつごくなってきたところで丁度御腹が一杯になった。
隣の初老の男性もおいしそうにガストンを食べていた。
(隣の初老の人々のグループは凄かった。クレープの前に具がしっかり入ったスープをしっかり飲んでた。
その後、私がガストンを食べてるのを観て「あれいいね。なんて品?」と店の人に聞いていた。
なんとも彼らのパワーの源はここかと。。。しかし、ガストンといえば美女と野獣の悪役の名前で
ごつくていかつい気取りやの兄ちゃんの名前ですね。。。こちらではガストンとは特別な意味でもあるんでしょうか?)
食後にカフェを注文して一服。体を十分に温めてからトイレに行きそして店を出た。
15:30頃まで店の周りの運河の風景を散策。
15:30から大聖堂の塔に上るツアーが2.50ユーロであったので参加。
風景を楽しんだ。再び大聖堂内部を2周見学してから外へ。
大聖堂の周りをもういちどじっくり見てからもと来た道を戻り駅へ。
トイレに行きたいやら人でごったがえしてるやらで何がなにやら。
ビデオをまわしながら駅に到着。すぐに発車する一本ほど早い電車があったので乗車してパリへ。
ガイドブックによればジュールベルヌの家や博物館などあったようだが今回は大聖堂だけで一杯だった。
19:00過ぎに北駅に到着。帰宅途中に買い物をして帰宅。
ビールを飲みながら適当に余った食材をつついて夕食終了。
夕食後にシャワーを浴びてから洗い物と片付けを済ませて少し作業をして就寝。
1月4日
4日間の疲れもあって昼まで寝る。起きて食事。
食事の後、片づけをして実家に電話。電話の後は荷造り。なんとか一つにまとまりそう。
一通り荷造りを済ませてから近くのアラブ系の店に夕食の買い物。(日曜なのでスーパーは営業していない)
この買い物で小銭を作ってから洗濯へ。洗濯中に夕食の下ごしらえ。
洗濯後に夕食を一気に仕上げて食した。(最後のパスタと味噌汁)
食後は気分が良くなって寝てしまった。24:00頃に起きて再び作業開始。
しばらくして就寝。
1月5日
9:30頃起床。朝食の後に大掃除。あらかた片付いた。
掃除をしながらあやさんとメール。今夜カレーをご馳走になることに。
昼食の後、2〜3日かけて作った千羽鶴と余った食材を抱えて学校へ。
アトリエに食材と千羽鶴を、国際交流室にも千羽鶴を贈った。両者共に喜んでくれた。
その後はボザールの校内の写真を取ったりして過ごした。
スクリーンは誰かが使うからバラさないで置いていってくれとマチュールがいうので布が荷物になる事も考えて素直に置いて来た。
隣のアトリエの人たちがケーキがあるからこないかというので二切れほどご馳走になる。
18:30が来たのであやさんとハルさんの所に向う。
到着が少し遅れて19:30頃になってしまった。
そこから22:00近くまで御馳走になったり話したりとゆったりと過ごしたが
二人とも3日にパリに戻ってきて時差ぼけが激しいらしくお疲れのようなので早めに退散することに。
23:00頃に帰宅しシャワーを浴びてやはり帰国の算段を頭にめぐらせながら就寝。
1月6日
10:00頃起床。寝坊を恨みつつ余った食材で朝食。片付けの後RERでポワシーへ向う。
サヴォワ邸に到着するも13:00から14:00まで休憩との事で一時間待つ事に。
14:00から邸内見学。15:00頃まで見学。取って返してモンマルトルのダリ美術館へ。
16:45頃には到着。トイレに行きたかったのでまずトイレにその後ゆっくり見学したが
どちらかというとこの美術館、後のギャラリーの商品を売る目的が強いんじゃないだろうかと感じるしまつ。
(日本で言えばヒ〇ヤ〇ガタさんやクリ〇チャ〇ラッ〇ンさんのギャラリーとか展示即売系。。。?)
見学後サクレクール寺院に向って眺望を楽しんだ後学校へ向う。
アトリエに行くとマチュール、ニコラ、ブロンディーヌの三人が作業をしていたのでお別れした。
皆、気持ちよく送り出してくれた。ブロンディーヌにビズ(頬へのチューっ!)してもらっちゃったい!
帰宅途中ウロウロして帰ったので家に戻ったら20:00頃だった。
とにかく大家さんに電話。明日の出発の時間には御夫婦でいらっしゃらないとの事なので
鍵を置いて出て行く事に。電話代の件は後日メールでやり取りする事に。
その確認が終わったので近くのカフェに夕食に出かける。
最近、肉しか食べてなかったので魚をと思い適当に頼んだら魚じゃなくて貝だった。
カフェも頼んで15ユーロかかった。夕食後はバスティーユまで散歩して夜の雰囲気を楽しんだ。
帰宅後はメールチェック等をしてからシャワーに。シャワーの後、I川さんに電話一時間ほど喋ってしまった。
その後は又、片付けの作業。テンションが上がってしまって寝れるかどうか。。。
1月7日
7時ごろ眠れずに起床。完全にハイになってる。
朝食もそこそこに最後の片づけをして空港へ。
金をケチって?メトロでオペラ前へ。
ロワッシービュスで空港へ。
なぜか壊れてるメトロの駅のエスカレーター。。。
もうかれこれ1月ぐらい整備状態。いつまで整備してるんだ??
長い階段を重い荷物を担いで必死に上がる。
空港についてチェックイン!のはずがやな予感がしたんだ。
あの黒人の御姉さん(拝み倒しは聞かないだろうなという感じのキリッとした女性の方でした。)
の顔は忘れられない。あの引ん剥いた目。。。黒白のコントラストがしっかりしてる人種だから直の事だ。
私の荷物がエコノミーの持ち込み許可重量20キロを超えていたのだ!
さていくらだったかというと44キロ!倍も違うのだった。だいたいああいう重量は10キロは余裕が
みてあるという噂だけど、さすがに倍はごまかせなかった。
「何が入ってるの?」といわれた。
思わず出た英語と仏語のミックス語が「I didn,t think Comme ca(アイディドントスィンク=私は思わなかった。
までが英語で コムサ=こんなが仏語という。。。)
こうまでおもわなかったんだよといっても黒人の御姉さんニヤリと笑う。
「取りあえず重いからだめ。のけて。」と秤からおろされる。
「ちょいまってーな。わいどないしたらよろしいんですのん?」と聞くと「お金を払う事ね。」と姉御。。。
「いくら?」と聞くと1キロで39.2ユーロだったかなんとか。
取りあえず10キロ分払うなら392ユーロね(トロワソンカートゥルバンドゥーズウーロね)と姉御。。。
まいったという顔をすると「あそこに居るピンクのスカーフをつけてる女性がチーフだから彼女と交渉して!ネクスト!」
みたいな感じであしらわれた。
チーフのところで言われたとおりに交渉。
自前の八の字眉で困った顔をすると仕方ないわねぇと言う感じで「10キロ分だけ払いなさい」とチーフ。
「この近くにATMある?」と聞くと下の階にあるわとチーフ。
荷物は責任もてないから自分で持って動いてといわれたので44キロの荷物を転がして空港の中を
ウロウロした。その前に黒人さんの姉御の所へ言って振込みの手続き書をもらう。
やっとATMを見つけたところで祈る思い出シティーバンクのカードを入れる。
(たまに上手く使えないATMもあるのでほんとに祈る思いで)
無事に400ユーロ引き出す事が出来た。取って返してエールフランスのカウンターで支払い。
支払い証明をもらって再び黒人さんの姉御の元へ。
「姉御!はらってきたっす!」と証明を渡すとスルスルと手続きをしてくれた。
ヘビー(重量超過)のタグが荷物につけられた。うーん。すばらしい勲章だ。
こうして無事(?)チェツクインが出来て帰国の運びとなった。バンコク経由で帰る。
とにかく今回、ほんとに小銭を残して使い切っていた状態だったので本気で焦った。
空港には2時間前にとよく言うけど実感。。。。
後、ほんとに急にお金が要ることもあるので、何かお金をよういできるような物
(外国で現地通貨で引き落としが出来る銀行のカード)やクレジットカードの類は、
一つは絶対に持っておくべきだと感じた。
1月8日
15:00頃無事に関西国際空港へついた。
母が迎えにきていた。
44キロの件を話し。
あきれられながら重い荷物を引きずって帰宅。
家に着いて夕食を外で。
疲れた体を癒す為すぐに寝た。
私の長いようで短いでも濃厚な(?)パリ滞在はここに無事幕を閉じた。
これで<ぱりにっき>は全て終わりです。
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
本当に、いい体験でした。
特に最後は。。。
ご意見、ご感想は掲示板にお願いします。
又、パリ暮らしについて何かございましたら
絶対に私よりは、詳しい人が居るわけですが、
私でよければわかる範囲でお答えします。
<戻る>